バプテストは新生会員の教会であると信じています
「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」
使徒行伝 2:47
「あなたの教会はどこにありますか?」この質問に対する予想される回答は、建物が建てられている住所であります。しかし、教会とは建物ではありません。教会とは多くの異なる場所に住む人々の交わりです…非常に特別な種類の人々です。
誰が教会の会員になるべきですか?
バプテストは、信者の教会、新生教会、集会教会、自発的な教会、生まれ変わり教会、贖われた人の交わりなど、教会の概念を説明するためにさまざまな用語を使用しています。
どんな用語を使っても、その意味は基本的に同じです。教会とは、イエスを主として自発的に従い、主権と聖霊の導きの下で、互いに自発的に結びついた人々の交わりです。
したがって、バプテストは救われた人だけが教会の会員であるべきだと信じています。バプテストはまた、救われた人々は教会の会員であるべきだと信じています。クリスチャンになることは信仰の個人的な応答ですが、クリスチャンとして成長することは、他のクリスチャンとの交わりによって高められます。クリスチャンとしての生活は、単独の努力としてではなく、教会が交わりの中心となる交わりを通してと、制定されました。
新約聖書の教会の概念は、キリストを信じるバプテスマを受けた信者の諸団体に焦点を当てています。しかし、新約聖書のいくつかの箇所では、「教会」という言葉は、すべての時代の贖われた者達のことをも指しています(マタイ 16:18; エペソ 5:23-32; コロサイ 1:18)。
バプテストは、教会の会員にはキリストに贖われた人だけが含まれるべきだと信じていますが、すべての人が教会のさまざまな活動に参加することを促進し、歓迎しています。たとえば、礼拝、聖書研究、奉仕イベントは、すべての人に開かれています。
なぜ信者だけが教会の会員になるべきなのですか?
バプテストにとって、聖書は信仰と慣習のための、唯一の書かれた権威です。バプテストは、聖書は、新生した人だけが教会の会員であるべきだと教えていると信じています。この新たな誕生は、単にイエスについての事実を暗唱することによってではなく、イエスへの信仰の、真の経験によってもたらされます(ヨハネ 3:1-21)。
新約聖書は、教会が、主であり救い主であるイエス・キリストへの信仰を通して救いを経験した人々で構成されていると述べています。使徒行伝には、エルサレムの教会について、「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」と書かれています(使徒 2:47)。新約聖書のさまざまな教会へのパウロの手紙の、挨拶、そして内容の両方において、教会が贖われた人々で構成されていることが記されています(1 コリント1:2; 12:12-31)。
新約聖書の時代でさえ、新生教会会員の思想が、常に達成されたわけではありません。純粋な新生教会の会員になることは不可能かもしれませんが、それでもそれは、目指す価値のある目標です。だから、バプテスト教会は、贖われた人だけを会員として受け入れるよう努めています。
バプテスト教会はどのようにして会員を彼らの交わりに受け入れるのですか?
バプテスト教会の会員は常に自発的である必要があります。したがって、個人が、会員になることを願い出ます。彼らは会員になることを強要されていません。バプテスト教会は、人を会員として認める方法によって、新生した会員を維持するためにいくつかの方法で努力しています。
教会の会員になったことがない人がバプテスト教会の会員になることを願い出たとき、彼、または彼女は、個人的な、主であり救い主として、イエス・キリストを信頼したという証しを求められます。さらに、バプテスト教会は、会員になる前に、人が、信者のバプテスマを体験することを要求しています。ですから、会員を求める人は、キリストへの信仰を表明することと、バプテスマを受けることの両方が求められます。
すでにバプテスト教会の会員である人が、別のバプテスト教会の会員を求めるとき、通常、その人は、その以前の会員に基づいて受け入れられます。かつて、いくつかのバプテスト教会は、その人が会員であったことを示す手紙を発行していました。そしてその人が別の教会に移るときに、この手紙を持って行っていました。今日、「手紙で来る」という用語は通常、会員を受け入れる教会が、会員の異動について他の教会に連絡することを意味します。 「声明で来る」という用語は通常、その人が会員であった教会がもはや存在しないこと、またはさまざまな理由で記録を取得できなかったことを意味します。
しかし、バプテスト教会の会員を求めている人が、バプテスト以外の教会の会員である場合はどうなるでしょうか。バプテスト教会は自治的であり、さまざまな方法で対応します。会員を求める人の教会の背景と、会員を受け入れる教会の方針の両方に依存するので、対応はさまざまです。
一般的に言って、そのような人がキリストを信じる者として、浸礼によるバプテスマを受けていない場合、バプテスト教会は、彼、または彼女が、キリストへの信仰を示し、会員になる前にバプテスマを受けることを要求します。その人が信者として浸礼しているが、そのバプテスマが救いのために必要であると考えられた場合、ほとんどのバプテスト教会は、その人が会員になる前にバプテスマを受けることを求めます。これは、バプテスマは重要ではありますが、救いには必要なことではないということを明確にするために行われます。
その人が信者としてすでに浸礼していて、彼、または彼女が、バプテスマを、新生したことを象徴的に証しする方法であると、理解している場合、一部のバプテスト教会はそのような人を会員として受け入れます。他のバプテスト教会はその人にバプテスト教会でバプテスマを受けるようにお願いするでしょう。
いくつかのバプテスト教会は、信者としての浸礼によってバプテスマを受けたかどうかにかかわらず、主であり救い主であるイエス・キリストへの信仰を表明する人を、会員として受け入れるかもしれませんが、ほとんどはそうではありません。バプテスト教会の大多数は、浸礼による信者のバプテスマの重要性を非常に真剣に受け止めています。
バプテスト教会の会員資格に関連する他の要因は何ですか?
教会は、信仰を表明した直後にバプテスマを受けて会員になるべきか、あるいは後になるかどうかは、教会によって異なります。信仰を表明した直後にバプテスマを授ける人もいます。他の教会は、バプテスマを受ける前に、その人、特に子供たちに、カウンセリングの過程を経ることを求めます。
教会によっては、会員を求めるすべての人に、救いの経験と、教会の会員への献身についてカウンセリングを求める教会もあります。また、新会員のクラスに参加することを求める教会もいます。多くの教会はどちらもしません。
バプテストの会衆は、個人の会員申請に投票をします。会衆はその人が救われるかどうかについて投票しているわけではありません。それは個人と神との間の問題です。むしろ、教会員はキリストの主権の下でバプテストの会衆統治に参加しています。
結論
新生教会の会員であるという信仰は、基本的なバプテストの信仰です。この概念は、「バプテストをバプテスト」にする信仰と、教会政治のレシピの一部です。次の記事では、この、バプテストの特徴が重要である理由と、それがテストされている方法について説明します。
「バプテストは他のクリスチャングループと多くの核となる信仰を共有していますが、
新生教会会員についての私たちの主張は私たちの特徴の1つです。」
ウォーレン・マクウィリアムズ(Warren McWilliams)
バプテストの信念の意味