バプテスト:何をもって、バプテストをバプテストとするのでしょうか?

「…あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい…」

1 ペテロの手紙 3:15

「私はただ、クリスチャンであると信じています。私は教派の一部にはなりたくありません。」このような声明を聞いたことがありますか?とても敬虔なようですが、クリスチャンの教派の一部であることに何か問題があるように聞こえます。

 

「教派」とは何ですか?

「教派」と「宗教組織」を区別しない人もいます。 「教派」とは、人々のグループによって共通に保持されている一連の信仰と慣習を表します。教派は通常、教派の価値観と信仰を実現するためにさまざまな組織を構成しますが、組織は教派ではなく、単なる表現です。たとえば、テキサス州のバプテスト連盟、南部バプテスト連盟、および世界バプテスト連盟は、別々の教派ではありません。彼らはバプテストの組織です。

すべてのクリスチャンがまったく同じ信仰を持ち、同じ慣習に従うことが理想的であると感じる人もいますが、そういう風になってはいませんし、なったこともありません。キリスト教活動の初めから、教会の性質、救いの方法、バプテスマの意味など、さまざまな問題についてさまざまな意見がありました。

教派は事実です。それらは存在し、消えることはありません。実際、バプテストなど、世界中で成長しているものもあります。そして教派とは重要なことなのです。それらは人の人生と世界に大きな違いをもたらします。人が属する教派はその人の人生に、確実に影響を与えます。したがって、教派が何を信じて、そして何を行っているかを知ることが重要です。

バプテストを際立たせるものは何ですか?

誰かがあなたに、「一言で、バプテストを他のクリスチャンの教派と区別するなら、何ですか?」と、尋ねたら、あなたはどう答えますか?イエス・キリストを、主であり、救い主であると信じた人々の、浸礼によるバプテスマですか?それは信者の万人祭司の観念に対する、強い献身ですか?それは宗教の自由に対する永続的な信仰ですか?

これら一つ一つは確かにバプテストのクリスチャンによって保持されています。しかし、場合によっては多少の異なった解釈はありますが、他の教派のクリスチャンもそれらを保持しています。

事実、これといってバプテストを他のクリスチャンと区別する一つの信仰や慣習はありません。では、何をもってバプテストをバプテストとするのでしょうか?

信仰と慣習の組み合わせが、バプテストを他のクリスチャングループから際立たせるのです。バプテストのレシピのような感じで、バプテストのための教理と政体の独特のグループがあります。ほとんどのレシピのように、各成分はバプテストに固有のものではありませんが、全体のミックスで独特のバプテストになります。それらの成分のいくつかは他のクリスチャングループのレシピの一部にもなってますが、他のクリスチャングループはバプテストと同じ信仰と慣習の組み合わせは、持っていません。

バプテストにはさまざまな「味」があります。彼らは、キリストの再臨、礼拝のスタイル、教派の組織など、特定の問題について異なる解釈と見解を持っています。しかし、すべてのバプテストが持っている基本的な成分は、同じなのです。外してはならない成分というのもあります。それがなければ、そのレシピはバプテストとして出来あがりません。コーンミールをコーンブレッドから外し、白い小麦粉に置き換えると、コーンブレッドにはなりません。同様に、バプテストのレシピに重要な成分を省くと、バプテストではなくなります。

バプテストのレシピ

バプテストのレシピの、重要な成分は何ですか?神への信仰や救い主としてのイエス・キリストへの信仰など、いくつかは、ほとんどすべての教派のクリスチャンと共通しています。しかし、いくつかの主要な事柄についてのバプテストの信仰は、他の特定のグループによって保持されているものとは異なります。たとえば、事実上すべてのクリスチャングループがバプテスマはクリスチャンにとって重要であると宣言していますが、バプテストは、ほとんどの人とは違うバプテスマへの理解を持っています。今後数週間にわたる、このシリーズでは、その違いとは何か、なぜそれが重要なのかについて説明していきます。

バプテストのレシピには、いくつかの重要な信仰や教理が含まれています:

–イエス・キリストの主権

–魂の能力

–信仰と慣習のために唯一の書かれた権威としての聖書

–神の恵みの賜物である、主であり、救い主であるイエス・キリストへの信仰によってのみ、罪と永遠の死から、許しと永遠の命への救い

–各信者と、キリストを信じるすべての会衆が祭司

–信者のバプテスマ

–バプテスマと主の晩餐は素晴らしく象徴的ですが、救いに不可欠ではありません

–新生した人だけで構成される教会の会員

–宗教の自由、そして、そこから生じる政教分離

これらの信仰の基礎の上に構築されているのが、バプテストのレシピの一部である特定の慣習または政体です。

–キリストの主権の下での会衆派教会としての統治

–各個教会主義

–さまざまな場合での自発的な協力

これらの信仰と慣習に密接に関連しているのが、ほとんどのバプテストを特徴付けるいくつかの重点です。

–伝道

–宣教

–キリスト教教育

–奉仕

–社会問題への関心

これらを実行するために、バプテストは、教会同士の協会、共同体、連盟、交わり、ユニオン、同盟など、教会を超えて、様々な方法で組織して行きました。バプテストはまた、教育、宣教、子供、高齢者、病気の世話をするための機関など、数多くの機関を設立しました。これらすべてに共通する成分は、自発的な協力です。

バプテストは、聖書の教えに基づいた、それぞれの信仰、慣習、強調、組織化に努めています。バプテストの願いは、個々のクリスチャンと教会が、神の助けである聖霊の、導きと力を得る事によって、人間的に可能な限り、新約聖書のモデルに近づくことです。

どんな違いをもたらしますか?

教派の違いは、人に何をもたらしますか?それは大きな違いを生みます。さまざまな教派にすごく献身的なクリスチャンがいますが、私達がバプテストとして大切にしている信仰、それはバプテストに属する原因となる、信じざるを得ない理由があります。たとえば、バプテストは、救いは、信仰を通して、恵みのみからなるものであり、恵み、プラス、信仰とバプテスマ、聖餐、または教会の会員ではないと考えています。バプテストは、教会は、教会外の人やグループによって牧師を任命するのではなく、教会自身が牧師を決定すべきであると主張しています。

バプテストの教派は重要ですか?はい、間違いなく!バプテストの教派は、世界に変化をもたらし続けています。たとえば、私たちは、バプテストの一部であった人々の犠牲的で利己的でない努力のおかげで、私たちの国で自由に礼拝することができます。バプテストは、政府や宗教団体の干渉を受けることなく、良心の命令に従ってすべての人が礼拝するための宗教の自由を擁護してきました。彼らは迫害にもかかわらずそうしてきました。バプテストは、世界中のすべての人の宗教の自由のために働き続けています。

「バプテストの主義はバプテストに特有のものであるため、すべてのバプテスト教会の説教者から日曜学校の教師まで、任命を伴うすべての者達は、その伝導している地域で、他の教派と違うもののために、立ち上がらなければならない。」</p
J. B. ガンブレル(J. B. Gambrell)(b。1841-d.1921)
バプテスト牧師、大学学長、編集者、
神学校教授、教派指導者/政治家